「かわいそうな子ども」の役割を降りるとき
私の知り合いに、「毒親育ち」を自称する女性がいます。
話を聞く限り、確かに理想的な家庭ではなかったかもしれません。
けれど、それは事件性のある虐待でもなければ、経済的に困窮していたわけでもないのです。
むしろ、彼女自身の「自分フィルター」が、彼女を悲劇のヒロインに仕立てあげているように見えました。
彼女は買い物やギャンブルに依存し、金欠状態が常態化。
生活は不安定で、仕事もギリギリ。
原因は自覚しているのに、改善のための行動——たとえばカウンセリングなど——にはまったく動こうとしません。
それは「だらしない自分」そのものが、親への当てつけになっており、
同時に「可哀想な自分」でいることが、他人の関心を引く手段になってしまっているからです。
誰かが助けてくれる時期は、限られている
けれど、彼女は気づいていません。
誰かが手を差し伸べてくれる時期は、若者のうちだけです。
「悩んでいる姿」が美しく映るのは、若さの特権です。
同じような状態にいる人は、きっと他にもいるでしょう。
だからこそ、はっきり言います。
もう、あなたの人生はあなたのものです。
あなた自身の責任で、あなたの才覚で、舵を取ってください。
過去の物語から抜け出す勇気
「かわいそうな子どもだった」「育ちが悪かったから仕方ない」
それを言い続けて、何が変わるのでしょうか。
その役割にとどまり続ける限り、あなたはいつまでも「当時の子ども」のままです。
未熟な自分を正当化するために、過去を盾にしていませんか?
いま、自分の足で立てる状況にあるのに、
いつまでも「被害者の位置」から世界を見ていませんか?
もうやめましょう。親のせいにしても、変わらない
「親のせいでこうなった」と唱え続けても、状況は変わりません。
それは、自律を妨げる最大の足かせです。
自立は自律。「誰にも頼らずに生きること」ではありません。
本当の意味での自律——それは、自分の感情を自分で扱えるようになることです。
そのために必要なのは、外からの承認ではなく、
自分を自分で癒す力です。
感情に巻き込まれそうなとき、呼吸に戻る
マインドフルネスを知ったあなたなら、もうわかっているはずです。
感情に巻き込まれそうなとき、「またか」と気づき、呼吸に戻る。
そしてこう言える。
- 「つらかったな」
- 「よくやってるよ」
他人に求めていたその言葉を、今のあなたは、自分に与えられます。
「まともな家庭」なんて、どこにもない
親は変わりません。過去も変わりません。
でも、あなたの生き方は変えられます。
知っておいてください。
“まともな家庭”なんて、世の中には滅多にありません。
表向きは平和に見えても、どの家庭にも複雑な事情があります。
家庭に問題があるのは、むしろ普通です。
だからこそ、「特別に不幸だった自分」というラベルで、
自分の人生すべてを縛らないでください。
まとめ:人生を取り戻す5つの視点
- 「可哀想な自分」でいることに、もう意味はない
- 過去を言い訳にしても、現在は変わらない
- 自律とは感情のハンドリング力である
- 他人の言葉を待たず、自分で自分を慰めよう
- 家庭に問題があるのは“普通”である
あなたへ
もう、誰かのせいにしている時間は終わりです。
ここからは、あなたの足で立って、あなたのために進んでください。
過去を背負ったままでもいい。
でも、その荷物を誰かに見せつけることで、自分を正当化しなくていい。
あなたには、もうその必要はないのです。
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